シンガポール日本人学校中学部におけるイマージョン教育

西興部村立西興部小学校

教頭 光成英二

1 はじめに

シンガポールは多民族国家で、もともとは個々の民族の言葉が使われていた。しかしシンガポール政府は国際的にこの国を発展させるために英語を公用語とし、学校教育も英語を中心として進めている。もちろん個々の民族の言葉も尊重しており、英語と同等に学習していくというのは日本から見ると驚きである。

ところで全ての日本人は、義務教育段階から少なくとも数年間は英語を学習している。しかし多くの日本人は英語を苦手としている。日本人がこれからも国際的に活動していくには英語が必要不可欠であり、このことは紛れもない事実である。

本校では英語圏にある学校という有利な環境を生かして、普段の英語の授業以外にも、英語の能力を高める学習として英会話授業を設けている。さらにイマージョン授業として四教科(音楽・美術・家庭・体育)を基本的に英語で行っている。これが取り入れられてから8年が経つが、試行錯誤の結果、各学年に対応じた指導方法がある程度確立してきた。そこでこの四教科のイマージョン授業についてまとめ、今後の方向性をさぐってみた。

 

2 イマージョン教育とは

イマージョン教育は「immersion」という英単語から名づけられ、辞書を引くと日本語では「浸す、投入される」と訳されている。

 

(1) イマージョンの概念

 イマージョン教育とは通常の教科学習が外国語で行われるプログラムを指し、ここで外国語は教授の対象というよりはむしろ手段となる。重点は言語ではなく教科の学習活動に置かれている。教師は「英語を教える」のではなく通常の各教科を「英語で教える」のである。生徒は教科の内容を学び、またその過程で英語の能力を習得する。イマージョン教育の最も重要な目的は、母国語の能力や教科の学力に悪影響を与えずに、外国語の機能的能力を付けさせることである。

(2)       イマージョン教育の歴史

1965年、カナダ、ケベック州モントリオールにある幼稚園において、後にイマージョンと呼ばれるようになる最初の教授方法が、mcgill大学の心理学者の協力で始められた。それは保護者からの「実際の生活に適したフランス語を身に付けさせられないか」という声が発端であった。

1975年に入ると間もなく、UCLAの教授グループは、カナダの例を参考にカリフォルニア州でスペイン語でのイマージョンを成功させた。その後イマージョンという学習方法は北米全土にも広がり、現在ではカナダの全ての州とアメリカ合衆国の多くの地域で、延べ33万人以上の子供たちが学ぶようになった。これらの学校のほとんどが公立学校で、この中には日本語イマージョンを行っている所もある。教授方法としては比較的新しいものであるが、それまでのESLやEFLのクラスよりもはるかに高い語学習得を可能にすると諸外国からも感心が高まっている。日本国内では静岡県の加藤学園や徳島県の生光学園でこのイマージョン教育がなされている。

(3)       イマージョン教育の形態

イマージョン教育ではそれぞれの状況に合わせて、以下の3つの要素の組み合せによって分類されている。

 

A プログラム開始時期

  早期    Early

  中期    Delayed

  後期    Late

B 教科選択

完全  Total

部分  Partial

C 指導形態

シングル〔イマージョン教師のみ〕

ティームティーチング

〔第一言語を話す教科教師とイマージョン教師〕

 

@     早期完全イマージョン

幼稚園、小学校低学年の時期は授業を100%外国語で行い、その後、外国語の使用を徐々に少なくしていく。中学校までにはこれを40%から80%にする。この方法では母国語の使用を初期の段階で抑え、正規の教科は全面的に外国語で教える。

A     早期部分イマージョン

早期の段階の教科指導が全面的に外国語だけで行われるのではなく、母国語も使用される形態である。母国語50%外国語50%というのが一般的である。この形態は通常幼稚園または小学校1年生から開始される。完全イマージョンとの大きな違いは、部分イマージョンでは外国語での読み書き学習が、通常子供の母国語での読み書き学習と同時にまたは少し遅れて導入される事である。

B     中期イマージョン

第二言語を使用することを小学校3・4年生まで遅らせるプログラムで、一般的にこの形態では本格的なイマージョンへ移行する前段階として、1日に20分から45分程度の外国語の授業を行う。

C     後期イマージョン

この後期イマージョンが本校で実施しているもので、外国語の集中的な使用を小学校高学年ないしは中学校にまで遅らせるものである。しかし、この場合はほとんどの場合、イマージョンへの移行前に数年にわたって第二言語に触れる機会を与えている。この小学校時代での外国語への接触時間が長いほど、また熱心に取り組んだほど、イマージョンによる教科学習が効果的に行われるようである。

 

3 本校におけるイマージョン教育

英語によるイマージョン教育は1995年に始めてここシンガポール日本人学校中学部での体育・美術・家庭そして1年遅れで音楽へと導入された。

 

(1)       導入の目的

@     本校の生徒の実践的英語力を高めるため。

A     既存の英語授業を補うため。

B     英語圏の国で生活していける英語の基礎を築くため。

C     地域社会と関わっていける自信を持たせるため。

D     外国語を話せることで将来の可能性をより豊かにするため。

シンガポール日本人学校の生徒に最も要求されていることの一つは、日本人としてのア

イディンティティーを保持しながら英語力を強化する事である。そのおもな理由は21世紀のグローバルな要求に対応する事のできる柔軟性が、これからの社会では必要不可欠だからである。英語圏であるシンガポールに暮らす中学生にとっても、日常生活でより積極的に生きる上でやはり英語力は必須である。

さらに、地域をより深く理解するためには、現地言語の理解への興味関心と習得なくしては成就でき得ない。必ずしも語学力が高ければ国際的に優れていると言える訳ではないが、国際性を伸長するための条件の一つとしてこの語学力が挙げられ、豊かな語学力は将来の成長のための基礎とも言えるのである。

(2)       本校の特色

 イマージョン教育は、生徒が海外で暮らすにあたって直面する違った文化や習慣に慣れるための準備をし、また教科の学習と同時に英語の習得もさせるというユニークで革新的な試みである。その目的は文法や会話にとって代わるものではなく、生徒が文法や会話の授業で習った英語を使うことによる英語学習全体の強化にある。

北米で実施されたイマージョン教育の多くは「早期イマージョン教育」だが、本校は「後期イマージョン」に位置付けられる。本校でのイマージョン導入時における議論の中で、この「後期イマージョン教育」の成果に対する不安の声もあったが、生徒の置かれている環境からもその実施意義は大きく、また十分な成果を予測する意見が主流を占めていた。

本校のイマージョン教育を実施する四教科は、もちろん日本の学習指導要領にそって行われている。これはイマージョンの試みの中に、生徒にとって馴染みのある環境を提供することと合わせて、日本に帰国したときに、日本の学校の教育システムにスムーズに適応させることを考えた上のことである。

本校では、イマージョン教科には必ず日本人教師(JIT)と英語教師(EIT)がいて、カリキュラムの作成は両者の話し合いによって行われ、EITの考えも取り入れられるようにしている。教科指導が第一に考慮されるのはもちろんのこと、教科と英語指導とのバランスをとることが大事である。また授業の前には必ず打ち合わせが必要である。

実際の指導はEITが中心であるが、そこでのJITのかかわり方が重要である。基本的に英語での授業であるため、生徒は最初英語を聞くことで精一杯だが、時間の経過とともに自ら英語を使うようになり自信がついてくる。実際に英語を使うことでより豊かな生活経験を積んでいくことが、本校のイマージョン教育の目的であるため、EITと生徒とのコミュニケーションが重視されている。

(3) EITとJITの役割

@ EIT

JITとともに年間計画や単元計画を作成する。

・生徒の英語レベルに基づいた授業内容を構成する。

・英語で授業を進め、JITと協力しながら指導にあたる。

・英語によって行われた説明から生徒の議論を引き出す。

・生徒の英語の能力を測り、レベルに応じた指導が出来るように生徒理解に努める。

・教科以外でも生徒と親しく接触をする。

A JIT

EITの考え方や方法論を尊重し、協調しあいながらも、日本人学校としての授業のやり方や水準を保つように注意をはらう。

EITとともに年間計画や単元計画を作成する。

EITと協力しながら指導にあたる。(通訳ではない)

・生徒の学習の理解度を測る。

・授業の理解のために日本語での説明が必要かどうかを判断する。

・英語では理解できない生徒のために、少人数に分けて日本語で説明を加える。

・英語では説明が難しい理論的概念などを日本語で説明する。

EITと生徒との理解を深めるために、EITが個人的に生徒指導を行う場合に立ち会い協力する。

     EITとともに評価や評定を行い最終判断をする。

     転入してきた生徒の英語の力を測り、イマージョンに早く慣れるための方策を考える。

(4) 試験と評価

@各教科の試験と評価はEITとJITの協同によって行う。

A互いに綿密な話し合いの上で、公平でかつ正確な試験と評価を行う。

B定期試験は英語で行うわけではなく、日本語の問題を日本語で答える方法による。

C生徒は授業に関するあらゆる方向から評価されるが、英語の能力によって評価されることはない。

D評価項目       ・授業態度

              ・積極性(意欲・関心)

              ・協調性・リーダー性

              ・技能

・知識・理解

(5) イマージョン実施のための確認事項

@新任のEITは、日本文化、日本の学校制度、学習指導要領、生徒や保護者の意識などについて早く理解し慣れるように努力するとともに、JITはその手助けをする。

AJITは言葉の違いや文化の違いにとまどっているEITに対して援助するとともに、教科指導上での相違点について調整を図る。

BJITは英語や英語文化を習得するための努力をする。英語の理解力が高ければ高いほどEITとのコミュニケーションがとれ、授業もスムーズに行えるし、英語を習得する重要性を積極的に生徒に示すことも出来る。EITもまた日本語や日本文化の習得に努力する。

C各単元における指導内容や指導上の留意点については十分に話し合っておく。授業内でのEITとJITの役割についても明確にしておく。

Dイマージョン授業では生徒全体に説明を与える時には英語で行う。

EJITは英語での説明をそのまま日本語に訳すことは極力行わない。EITが日本語を使うことも避ける。それは下記の理由による。

ア 生徒が日本語の訳を期待することで、自分で英語を聞き理解しようとする意欲が失われてしまう。

イ EITが生徒全員を英語で理解させようとする必要がなくなってしまう。

F生徒がEITの説明を理解するためには以下の点を意識するように心がけさせる。

ア 教師の身振り手振りをよく見ること。

イ 技術や状況説明等の例示をよく見ること。

ウ 黒板やホワイトボードに記入される内容をよく見ること。

エ 繰り返したり強調したりした単語をよく聞くこと。

GEITの説明が生徒に理解されず、そのために日本語での補足が必要と判断された場合は、JITが一部あるいは全員の生徒を集めて説明する時間を作る。安全面は特に重要である。また理論的内容など生徒の英語力では理解しきれない内容も、日本語での説明が必要となってくる。

HEIT・JITともに生徒の理解度を測りながら授業を進めていく。また英会話授業での生徒の英語力を知ることは授業を進めていく上で大変重要である。

ITTは教師同士がよく理解しあっていないと成り立たない。EITとJITはそれぞれの長所を引き出しながら単元テストや授業の計画を協同で行う。

Jカリキュラムの内容に即した評価評定の基準になる、具体的な手立ての確立を行う。これはEITとJIT双方が同じ視点で生徒を指導し評価するために大事なことである。

K教科授業以外の学校生活でも、EITは生徒と積極的に関わり生徒理解に努める。またEITとJITも授業以外での関わりを多くもち、教育に関する互いの考え方についての理解を図る。

Lイマージョンに関する書籍や資料の収集に努めたり、互いに研究授業を行ったりする。

 

4 イマージョン教育の現状

(1)       音楽

                  1学年:EITとJITによるTT授業

2学年:EITによるシングルイマージョン授業

3学年:EITとJITによるTT授業

期末テストは全学年とも2学期のみ

(2)       美術

1学年:1学期はTT授業

2学期以降半数ずつEITとJITが交互に単元別に行う

2学年:EITによるシングルイマージョン授業

3学年:生徒を半数に分けEITと

JITが交互に単元別に授業を行う

期末テストは3学年の1・2学期のみ行う

(3)       家庭

1学年:生徒を半数に分けEITとJITが交互に単元別に授業を行う

3学期は分けないでTTで行う

2学年:[1学年と同様]

3学年:EITとJITによるTT授業

期末テストは3学年の1・2学期のみ行う

(4)       保健体育

1学年:各生徒が種目を選択するが、個々の種目にはEITまたは

JITどちらかが付く

             期末テストは1・2学期のみ保健で行う

2学年:各生徒が種目を選択するが、どの種目もEITによる授業

             期末テストは2学期のみ体育実技の内容で行う

3学年:各生徒が種目を選択するが、個々の種目にはEITまたはJITどちらかが付く

             期末テストは1・2学期のみ保健で行う

なお全学年とも保健の授業はJITによって行われる

(5)その他の活動

イマージョン教育を促進するにあたっては授業以外に以下の活動も行いよりよいものを目指している

@     コ―ヒーモーニング:年に1回いわゆる授業参観を行い、保護者が見学したあとお茶を飲みながらの懇談会を行う、英語での会話もあるので通訳としての教員の配置を行う。毎回保護者には好評で生徒の英語力の向上を願う気持ちや意見を求める場にもなっている

A     イマージョン会議:学期に1回程度イマージョン教育に関係している教員による会議を持ち、互いの情報交換や指導の仕方や今後の方向性を話し合っている。

B     英語教育推進会議

学期に1回程度イマージョン以外に英会話や日本人英語教師を交えて、本校の英語教育全般に関わる成果や問題点の洗い出しそして今後の方向性を考えるものになっている

 

5 イマージョン教育の成果

成果の第一にあげられるのは、生徒のイマージョン教師への態度である。イマージョンの開始当初は日本人教師以外に対して距離をおいていた生徒たちが、8年を経て何の抵抗も無く接し自由に質問をしている姿は大きな成果である。また英語でものを考え英語で記録していることも、英語に対する抵抗を軽減するもとにもなっている。第二には授業に対する意欲の向上が上げられる。実技教科なので何をどうするのかは見れば分かることではあるが、より理解しようとすると英語での説明を真剣に聞く必要がある。このことの積み重ねによって、自然と授業に対する意欲や態度の向上が見られるのである。総合的にみると、各教科の技能の向上と合わせて、英語に対する興味や関心を起こさせる力となりうる事が分かった。

 

6 イマージョン教育の課題

課題の第一として、単語や語彙を選んでの指導になるために、どうしても指導に時間がかかってしまうことである。危険を伴う作業や行動を指示する時には安全性を優先するために、どうしても説明が長くなってしまい生徒の意欲を削ぐことがある。第二として、使う単語や語彙と、他の英語授業の内容との関連性である。英会話や英語の授業の内容と実際指導で使う単語を細かく打ち合わせすることは現実的にかなり難しいのである。第三として日本からの転入生が、いきなりイマージョン授業での英語に対応できるかという問題点である。しかし実際の作業や技能は生徒同士で協力して互いに高めていくことで、ある程度解決されている。第四としては定期テスト及び評価評定の段階で、高等学校の受験を視野に入れた客観的な作業がなされるかという問題である。

また教師側の問題として、管理職を含めて日本からの派遣教員が3年しかいないという点が上げられる。複雑な構成を理解し関わりを持つには期間が短すぎる。やはり長期にわたってこのイマージョン教育を引っ張っていくべき立場の人が必要である。

イマージョン教育の目指す姿としては完全シングル(英語ネイティブによる英語だけでの授業)であるが、上記の問題点との関係で本校では、小学校から入学してきた1年生には日本人教師がTTということで授業に関わる、3年生では入試のための正確な評定のために日本人教師が関わる、ということでなんとか解決しているがそれも今後の課題である。

 

7 おわりに

シンガポール日本人学校中学部のイマージョン教育も8年たち、その間試行錯誤を繰り返しながら現在の形になっている。日本でも小学校段階での英語教育の重要性が叫ばれているが、成果については全く未知数である。中学校においても多様な取り組みがなされているが、ここ中学部でのイマージョンの試みは、今後とも大きな期待を寄せていいものである。

シンガポールは世界を相手にしていくために、国策として英語を共通語とするとともに、第二言語としての中国語・マレー語・タミール語も決して蔑ろにはしていない。さらにこの英語を中心とした学校教育にかける意気込みには、実際生活をしてみると感心することが多い。英語に限らずコンピュータやその他の施設に関しても、国の政策が反映されていることがよくわかる。

日本はといえば、学校を一歩出ると英語を知らなくても、なに不自由なく生活できる国であり、この国で英語を普及させるにはそれなりの工夫が必要である。このイマージョン教育もその一つとして考えられるが、日本人学校にてそれに携わることが出来たことと、多様な民族の人たちに出会えたことに心より感謝したい。