ふえる日本語習得をする児童・生徒 

 

 [初歩の日本語から学習指導まで]       

 

 T,[最初の出会い] 

 

1,プロフィール(M・Oさん)

 移民者の子供として生活していた親から生まれ,日系3世として生活してきたMさんは,事業をしていた父親が事業をやめ,日本に仕事の働き口を求め,生活の場を移してきたのに伴い来日した。

日本での生活を予想だにしていなかったため,日本語は何も学習していなかった。そのために,日本語の初歩から学習させた。更に,日本での高等教育を希望していたために,高等教育を受けられるように,日本語力を向上させ,学習能力も向上させなければ成らない状況であった。

伯国(ブラジル)では高校1年生であったが,日本語を学習するために,中学2年生に編入学してきた。

2,日本語環境

 母親は日系2世のために,家庭に於いて日本語を話すことはなかった。来日してから日本国籍を取得したが,日本語での会話はできなかった。家族内で日本語による会話ができるのは父親だけであった。この父親も,日本語の読み書きはできず,書類等は,理解できないでいた。また,日本に来ても知り合いなどはおらず,日本語での会話をせずに,家に閉じこもっていることが多かった。

登校して最初に全職員に紹介するという話をしたところ,父親が自己紹介の言葉として「名前くらい日本語で言えるほうが良い」と判断し,日本語での名前を練習して登校してきた。

3,初めての接触

川崎市総合教育センターからの紹介で。Mさんが川崎市に見えられたことを知る。しかし,何日たっても学校に接触を持ってこない。どうしたのかр入れてみると,母親も,日本語が分からず,どこにも出掛けることができないとのことであった。その話を聞き早速,車で自宅まで出向き様子が理解できた。

その際,書類的なことや,役所関係の手続き等も,母親と,本人を帯同し,一緒に面倒を見てやり,学校を案内し,学校への通学に必要な「通学定期券」も購入してやった。さらに自宅から学校までの道順通り,バスの行き先表示から駅までと,駅から乗換駅での案内まですべて,同行し案内した。

 

4,信頼関係の伸長

父親の仕事関係から住居を確保していたが,同じ仕事関係者から「いやがらせ」を受けたりし,日本人に対しての不信感は大きなものがあった。地球の裏側からはるばる「素晴らしい日本」へ,「素晴らしき人間関係」を期待してきたのに,冷たい仕打ちをされた。母親や,子どもには,「日本というところは良い人がおり,皆優しい人である。」と言い聞かせてきたが,あまりの仕打ちに「何度,伯国(ブラジル)に帰国しようかと思った」という。そんなことから,必死の思いで来日してきたこの家族を,少しでも援助してやろうとの思いで普通の日本人として対処してきた。

そんな親の様子を見てきた子ども達も,日本人に対する気持ちの中に,不信感が芽生えてきていた。また,日本語の会話の出来る父親は,昼間は仕事に出てしまい,日本語を理解できないものだけが家に残るという暗い雰囲気であった。

まずは,一人で行動できるよう支援をすることから始めた。また,役所関係の書類に付いても,書くことができないので,父親の帰宅時間に合わせて訪問し,相談に乗ったり,書類を代筆したりしてきた。

5,日本語指導方法

日本語での会話が理解できないことから「日本語回復教室」で日本語指導を最優先していくことになり,「国語,社会,数学,理科,英語」の授業時間に指導することにする。さらに,放課後1時間指導することにした。

 

6,年齢差のギャップを補うために

学級の生徒とも仲良くし,交流ができるよう「音楽,美術,技術家庭,保体」の教科の時は,所属学級の授業に参加させるようにした。さらに,昼食時も学級に参加させた。しかし,高校生であった自分と,日本の中学2年生とでは,考えることや,話題などにも大きく差があり,日本語が理解できるようになってくると一層ギャップを感じていた。その為に,一般生徒との間に一線を引いて,付き合いをあまり活発にしていかなかった。

 

U,[初めて習う日本語]

最初はポルトガル語を使用しての日本語指導で,ごく日常的な「あいさつ」の言葉か ら教えた。自分の国では高校生であったことから理解力は高く,さらに,生活経験も豊 富であることから,ポルトガル語訳付「にほんごのきそT」を使用し指導を開始した。このときには,一か月前に同じ伯国(ブラジル)から来ていた,日本語の少しできる姉妹がいたので連帯感が芽生え,お互いに教えてくれたことは大きな支えになっていた。

普通ならば,肉体的な生理現象の言葉を最優先して教えているが,指導教師側で生徒が話す言葉を理解できることから,まずは,以下の語彙を増加させるよう指導した。

1,初歩指導として

何も知らない「日本語」について,最初に「あいさつ関係」の言葉を指導していった。それから,以下のことをポルトガル語を使用して行なった。

◎学校内の必要と思われる場所を案内。

(学校に到着してから,自分のいくべき教室までの道順。さらに,学校内鳥瞰図を用意し,必要な名称用語「昇降口,トイレ,教室,体育館,音楽室,美術室,技術室,家庭科室,校庭」等。)

◎身体的苦痛を表現できる言葉を教えた。

(この言葉として「痛い,熱い,寒い,かゆい,苦しい,疲れた,吐き気,お腹がすいた,喉が乾いた」等。

この生徒にとって,「日本語回復教室」以外の生活上必要であった。これに加えて排泄に伴う表現の言葉「トイレにいきたい」は必ず教えた。)

◎身体的部分の名称。

(身体部位「頭,顔,胸,お腹,背中,お尻,腰,足」はジェスチャーで示すことができるのであまり強制しなかった。)

◎簡単な挨拶用語

(「おはよう,こんにちは,さようなら,ごめんなさい」)

◎学校内で使う,指示用語

(「起立,着席,気を付け,休め,礼,回れ右,整列,」を体得させ,・学校内で使う,短文の指示用語「始めます,終わります,待ってください」

◎身近な物品の名称

(「机,椅子,鉛筆,教室,消しゴム,ハサミ,窓,カーテン,チョーク,地図,リコーダー,黒板,時計,教科書,靴,靴下」等。)

◎形に関する言葉。 (「丸,三角,四角」)

2,日常会話へ

会話を,最初にマスターさせるよう,日常良く使われている日本語表現を,一定の文の形として理解をさせ,単語は必要に応じて増加させながら指導した。

中学2年生に編入学し,高校入試まで時間がなく,早い時期から学習指導に入りたかった。その為,家庭での日本語学習を毎日義務づけた。指導上,本人の強い学習意欲が必要であるが,日本での高等教育を受けたい気持ちから学習意欲は十分あった。

初歩の会話文型として

会話文型として 関係単語として

◎・私は,〜〜です。 @氏名,日本人,先生,生徒,友人の氏 ・あなたは,〜〜さんですか? 名,中国人(関係する各国または,知

・あなたは,〜〜(人)ですか? っている国)等,

・あなたも,〜〜ですか? おはよう ございます,どうぞ よろ ・〜〜さんは,〜〜(人)ですか? しく,

◎・これは,〜〜です。 A @の単語に加えて

・この人は,〜〜です。 本,タバコ,新聞,カギ,紙,かばん

・あれは,〜〜では ありません。 雑誌,机,イス,ペン,ノート,灰皿

・あの人は,〜〜さん ですか? 窓,ドア,辞書,教科書,数字(1〜)

・それは,〜〜ですか, 時計,カメラ,テレビ,自動車,ラジ ・その人は,〜〜ですか, オ,熱い,寒い,冷たい,

・これは,〜〜(さん)の〜〜です。(この文型では,これ,あれ,それを

・それは,〜〜のです。 使い分ける)

・この〜〜は,私のです。 日本国内の様子がよく分かるかる写真 ・〜〜さんは,いくつですか? を使うと効果が増す。

◎・〜〜は,あそこです。 B @Aの単語に加えて

・〜〜は,そちらです。 ここ,そこ,あそこ,こちら,そちら, ・〜〜さんは,〜〜です。 あそこ,教室,川崎,機械,電車,電気, ・ここは,〜〜です。

・これは,〜〜円です。

これらの指導の中で,音楽や,写真,ビデオ,テレビ(国内の風景を放映する番組等)等使用しながらやることは,学習効果を高め有意義であった。

つねに,指導方法は「単語」をマスターさせ「文型」を指導した。

さらに,学習させた単語として各教科「小学生用教科書」を使用し(特に低学年用)物,植物等の「さし絵」は大いに参考になった。

3,基本的な日常生活語彙増加のために

常に,言葉だけではなく,絵や写真を多用しながら指導した。

身近かな家屋の名称(家,屋根,壁,窓,ドア,かぎ,正面玄関,上がり段,門,裏庭,垣根,生垣,車庫,芝生,テラス等),

家屋内部の名称(勉強部屋,居間,浴室,寝室,台所,階段,ひさし,掛布団,枕,テーブル,引き出し,花瓶,ソファ,カーテン,じゅうたん,天井等)

衣服の中から(ネクタイ,コート,スーツ,ズボン,上着,ワイシャツ,スカート,スカーフ,セーター等)

学校内の名称(昇降口,校長室,職員室,保健室,理科室,図書室,音楽室,美術室,技術室,体育館,教室,格技室,部室,正門,東門,北門,プール,テニスコート,印刷室,トイレ等)

学校内の教科名(国語,社会,数学,理科,音楽,美術,技術家庭,保健体育,英語)

人体の名称(頭,首,身長,顔,眼,鼻,髪,あご,腰,腹,腕,ヒジ,手首,手,指,脚,もも,ひざ,すね,くるぶし,足,耳,背中,胸,のど,口等)

家族関係の名称(母親,父親,兄,姉,弟,妹,兄弟,両親,いとこ,おじ,おば,おじいさん,おばあさん等)

等も,教えてきた。(すべて「ひらがな」で)

これ等の単語を暗唱させるために,最初に日本語の単語を耳で聞かせ,生徒本人が理解できる言葉の対訳を見て理解させる。(絵や写真を常に用意しておき,見させながら)

その後,対訳文だけを見ながら,日本語の単語を発音させ,習得状況を把握してきた。

さらに,衣服着用時の,形容関係用語として,

「実用的,華やか,飾りのない,厚手の(厚い),薄手の(薄い),軽い,重い,縮む,シワになる,伸びる,色あせる,だぶだぶ,ゆるい,きつい,狭い,広い,ピッタリ等」を教えた。これらは,直ぐにマスターさせるのでなく,折々に使って身につくようにした。

これと同時並行で,交通の関する言葉も教えていった。

電車通学のために(行先表示の地名場所,表示の説明,駅の案内板の説明,電車 の種類等)

バス通学のために(行先表示の地名場所,表示の説明,停留所の立看の説明,)

4,学習順序を図示すると

日本語単語の反復復唱

日本語単語暗唱

対訳を見ながら,日本語単語暗唱

日本語単語を使用しての短文反復復唱,暗唱

5,学習用語の指導

中学生段階で編入学してくる生徒は,多くの場合学習経験があるために,学習用語は「日本語」での言葉を指導すればよかった。しかし,この生徒の場合は,学習していない事柄が多くあったので,学習用語の解説をしながら指導していった。

日本の様子を題材にして会話を膨らませる為に「日本の地理」(日本語教育学会)を使用しての指導には,大変興味を示してきた。この際には,「空からみた日本」空中写真集(新日本教文株式会社)を併用しながら,日本について学習させ,さらに,社会科の地理の分野も含めて指導してきた。この際には,ポルトガル語での解説をしてやらないといけなかった。

学習指導を教科書など「本」だけの指導にすると,集中力が落ちてくる。特に,ラテン系の地域で長いこと生活し,学習してきた生徒はその傾向が強い。そのために,空中写真集は,衝撃的なインパクトがあり,日本に対しての好印象が芽生えてきた。中学校段階の学習指導では,言葉だけでは説明が不十分なことが多々あることから視覚に訴える「視聴覚教材」は効果がある。さらに,新たな興味を喚起することから有効に活用できる。

この際に,学習用語を覚えさせ,自分のノートに言葉を書かせ,ふりがなを付け,読みの練習をさせた。

6,識字指導への発展

ある程度,日本語での会話ができるようになってから「平仮名」「片仮名」を指導した。

この「平仮名」「片仮名」は常に並行して学習させ,先ず,眼で字の輪郭をし

っかりと覚えるように注意した。(「五十音ひらがな,かたかな」教室内に常掲しておいた)この際に,小学生対象の絵入り漢字解説本(小学生のための漢字読み書き辞典−学習研究社版-)を使用し,書き方や,簡単な文字の生い立ちを絵を交えて学ぶという,視覚に訴える方法をとった。

この指導に当たって注意したことは,自分から書きたいと言うまで「文字」を書かせなかった点である。文字を書かせるように成ってからは,対訳語の五十音表(資料参照)を作成した。

「ひらがな」の書き取りには,日本語の発音のまま単語を対訳語で書き,その下の欄に「日本語の平仮名・片仮名」を書かせたりした。(この際,下に絵を書き入れておいて,その単語と関連させた)

「平仮名・片仮名」を完全に識別し読解できるようになってからは,反復復唱した短文は,すべて自分のノートに書き取らせた。

7,学習環境(形態)のギャップ

この生徒とは,日本とは大きく違う学習環境だったことから,日本の学校生活には苦痛を感じていた。

毎日,ブラジルでは朝7時から昼12時までの学校であったのが,日本での朝8時半から夕方までの拘束には,身体の小さいM・Oさんはうんざりしていた。

また,学習を身に付けるためには,ブラジルのあまり厳しくない学習指導と違い,徹底的に反復練習を行なう日本の学習方法には反発を感じていた。(語学教育のあまり厳しくないブラジルと比較して)

8,得意な教科で自信を

学習の上で,自信を付けさせることから,得意としている数学・英語においては,どんどん教えながら,誉め称え「自信」を付けるように仕向けていった。出来るだけ,「自信」を持たせるよう,暗示にかけ,誉め言葉を多用しながら進めていった。

9,一般教室での授業との関連

自分の所属する学級に置ける授業に参加して,理解できない言葉や,意味不明なことに就いては,自分で自分のノートに書き留めておき,「日本語回復教室」に来たときにその言葉を解説して理解を図るようにしていった。

また,教科担任の先生にも理解を求め,できるだけ噛み砕いて簡単な言葉を使用するようお願いをした。

 

10,高校進学が目前に来てからの様子

年齢は一般生徒よりも2歳年上であり,まだあまり日本語も身に付いていないことから,12月になると,気が落ち着かない様子が伺えた。親も心配ではあるが,日本の様子について何も知らないことから手の打ちようが無くなっていた。

先ずは,気持ちを落ち着かせることから,教師の側で全面的に,色々な高校に当たって可能性を見つけるから安心していなさいと言い聞かせて指導を続行していった。親との接触は頻繁にしていくようにし,時々状況も話していくようにした。この話しから,どこかの高校には入学できそうなことを感じとったのか,落ち着きを幾分取り戻し,学習にも意欲的の取り組み出した。

11,指導を顧みて

限られた時間の中で,これもした,あれもしたいと思うことは沢山あるが,やはり個々の生徒に合わせたスピードで,最低必要限の内容を吟味し,指導していく必要がある。

この生徒の持っている能力からみると,半分も引き出していないような気がしている。これは,進学していった高等学校のことを考えると強く感じている。生徒の能力の大きく左右するが,さらに,強い強力な指導法を確立するために力を注いでいきたい。