帰国教師の課題

          全国海外子女教育研究協議会研究部長

               目白学園女子短期大学助教授  佐 藤 弘 毅

12号巻頭言(1982年6月30日発行)

私が海外子女教育とのかかわりを持つようになってから,もう十四年たちます。

 この間の海外子女教育の振興と,研究活動の隆盛ぶりには,全く目をみはるものがあります.海外校の拡充や研究課題の学際的広がり,それに関係学会の設立など,どの局面を見ても,往時と比べて隔世の感があり,誠に喜ばしい限りです。私がとりわけ心強く思うのは,帰国教師の仲間たちが増えることです。

 私達は,それぞれの任地で異文化に執

れ,まぎれもなく貴重な教育経験を積んでから,国内の教壇に復帰しています.そんな私達の存在と活動は,全国の巨大な教師群の中では,あまり日立たないかも知れません.実際,少なからぬ人々は,教育現場の日常性の中に埋没してしまったかに思えます。

 それでも,得がたい海外体験を自らの筆質向上に振り向け,引き続き海外子女教育や,国際理解教育の道に情熱を傾け続ける仲間もまた,決して少なくありません。全海研の先生方はその好例であり,最も心強い仲間です.特に全海研の研究部をお預かりするようになってから,そんな思いを強くしております。

 また,三十に及ぶ都道府県で,仲間たちが組織化されました。地方の実情に応じた活動を重ねる中で,海外子女教育に対する認識の輪をキメ細かく各地に浸透させてゆくことを,大いに期待します.

 さて,私は最近,本会の研究活動の歩みと,仲間の研究姿勢について,少しばかり整理して考えてみました。

 全国大会での研究報告と,東京都の月例集会を見る限り,圧倒的に現地での実践報告が多いようです。昨年の第八回大会までの全国大会のテーマを大別して,次のようにまとめることができます。

 第一のカテゴリーは,異文化そのものの紹介です.比較的初期の大会に多く見られました.現地社会の観察,人々の暮しと思想の分析,そして教育事情の考察などが主で,率直に云って,研究報告というよりも経験談と呼ぶにふさわしいものが少なくありません。

 第二は,日本人学校等の運営上の問題に関するものです。大会史前半にその例が多く見られます。あらゆる面で国内校とは条件の異なる学校経営の難しさや,勝手のちがう状況の説明に,力がこもっています。

第三の分野として,現地での教育活動一般に関するもの,そして第四に,現地に根ざした教育実践の試

行報告が挙げられます。この両者は,一見して似ていますが,着眼点において大きな隔たりがあります。前者は,特殊な条件下でいかに「日本人の学校らしく」教育を営んだかの報告です。いわば,国内教育を現地に持ち込んで,現地に則した調整をはかる姿勢です。

これに対して後者は,国内と異なった環境を積極的に受容し,その上で「ちがい」を自己と教材の中に取り込んで活用する姿勢です。着想のスケールから見て,最近はこちらの方がより評価される傾向にあるといえましょう。

 最近のカテゴリーは,海外勤務経験を活かした,帰国後の実践報告です.最も帰国教師らしい研究領域でしょう.海外経験を教師としてどう生かすか,という問いかけは,第三回大会から散発的に出されでいますが,いまひとつ盛り上がりに欠けます。全海研が,そして帰国教師が,より積極的に日本の教育界に貢献するためには,真正面から受け止めねばならない課題である,と私は思います。

 早くも結論めいた所感を述べてしまいましたが,帰国教師としての研究領域は多岐にわたり,研究内容の質的向上にほめざましいものがあります。しかも,かつての総論的な訴えかけから,真に教師らしい実践活動を深く追求する方向に転換してきたように思われます。

 にもかかわらず,私には一点の不満が残っています。帰国教師としては,眼前の教育現場を見すえ,海外での成果を個人のものから国内の教育界に還元するための研究に,一層の熱意を持つべきではないてしょうか。

 海外校を振り返る研究にも多大な意義が見出せます。とりわけ帰国直後の海外研究成果にほ,大いに耳を傾ける価値があります。しかし,いつまでも後を振り返る姿勢を取り続ける限り,帰国教師は単に特異な経験を持った引揚者に過ぎません。海外で得た豊かで新たなものを,教師としてどう日本の子ども達に分かち与えられるか,そのプログラムはどう組めるか,その際の教育技術はどのように展開すれば効果的かなど,前向きに取り組むべき課題は際限ないはずです。

 普通教育の世界が,一般にこうした新しい実践的研究に冷淡なことは,よく承知しています。帰国教師は圧倒的少数派でもあります。しかし,私達は同じく少数派といわれる海外子女の教育に情熱を燃やした教師です。マイノリティーのハンディキャップを乗り越える意欲の中に,帰国教師の新たな道が開けるのではないか,と思う此の頃です。