私の考える国際理解教育

心を開くことから開発教育まで

北海道国際理解教育研究協議会事務局長 石 田 省 子

            (札幌市立平和通小学校長) 

48号巻頭言(1994年7月20日発行)

学習指導要領の四本柱の一つに,「国際理解教育を深め,我が国の文化と伝統を尊重する・・・」が掲げられたのは,平成元年のことでした。

 考えてみますと,私がカラチ日本人学校から帰国し,国際理解教育に携わって十八年が過ぎましたが,未だに国際理解教育の推進には,困難を感じております。

 当時を振り返ってみますと,帰国子女の教育が取りざたされ,日本の学校への適応が問題になっていました。現在は,同化ではなく帰国子女の「よさ」を伸ばす教育に変わってきております。また,日本語の話せない外国人子女の教育の間題も浮上しております。

 ベルリンの壁の崩壊,ソビエト連邦の解体,さらに難民問題等々,まさに世界の動きと共に歩んだ十八年でもありました。

 時代の流れと共に環境が変わり,価値観が多様化し,科学技術が進歩・発展しました。それに伴い文明も進歩し,国際理解教育の現状も変化を生じてきました。 国際理解教育に含まれる内容を考えてみても,次の様に多岐にわたっています。

 国際理解教育・異文化間教育・国際教育・グローバル教育・人権教育・平和教育・開発教育・環境教育・多文化教育・現地理解教育・帰国子女教育・外国語教育・日本語教育 等 どれ一つ取りあげても,大きな課題であります。

 国際理解教育が異文化理解であるならば,身近な人と人との間でも異文化理解の基礎が培えられると考えます。

 見方,考え方の違う,価値観の異なる人間同志が,互いに排他的にならず相手の考えを尊重し,話し合い,理解し合う努力を持ち続けるなら,そこにお互いの考えを融合し合っての「新しいもの」が生みだされ,創りだされていくと老えます。一人一人が「心を開くこと」で,このことは可能になると思います。

 さらに,自分の利益のみで物事を処理するのではなく,国家的な視野で考えることができ,自分を地球上の人類の一人としてのとらえ方・考え方ができるようになれたらと考えます。

 そこで小学校教育では,小さい時から外国に関心をもたせることが大切です.外国人との交流も大事になります。実体験を通して学ぶ国際性の育成です。これらのことを通して見方・考え方の違いを知り,違いを違いとして認め,受け止めることができるようになり,「開かれた心」につながっていきます。

 人間は「文化」によって,これが同じ人間かと思うほど,ものの見方・考え方や行動が違ってき

ます。このことは,一般に慣習や価値観の村立となって表われてきます。それでも人類は,文化の違いを越えて理解し合おうと努力しています。

 また,海外派遣者がどこの国で生活したかによっても,一人一人の「世界観」が異なってきます。住んだ所の文化が違うのですから当然であり,一人一人の世界観が異なっていて,またそれでよいと考えます。

 文化の画一化は,いろいろな弊害をもたらします。私は,地球上にそれぞれ異なった国があり,民族がいて,互いに違った文化をもって生活している人達がいるということは,大事なことであり,すばらしいことであると思っています。しかし,地球上には富める国も貧しい国もあります。私達は,このような国と国との格差を知り,実態を知ってその原因をさぐり,「お互いに助け合っていこう,共存し共生し合って幸せになろう」という考えをもつことが大切であり,この考えが開発教育につながっていきます。

 開発教育は,一九七〇年代にヨーロッパ諸国やカナダ,オーストラリアなどで進められてきたと聞いています。

 どのような学習であり,活動であるかといいますと,発展途上国といいますか,第三世界の開発問題のその現状と原因を理解し,地球社会構成国の相互依存性について認識を深め,開発のために積極的に参加しようとする学習であり,教育活動であるといわれています。

 このような活動は,学校教育だけに留まらず,志を同じくする社会教育の分野の人達や民間の人達,諸団体との連携等で,開発教育にとり組んでいきたいものと考えます。

 開発教育といっても,食糧問題,人口問題,資源の格渇,環境問題,貿易,国際協力といった開発問題を構成するさまぎまな間題は,複雑でかつ解決への展望がもちにくい問題ばかりです。

 だからこそ,できることからとり組まなければならないといえるのかも知れません。

 ローマクラブが,「限界なき学習」というレポートの中で,地球親模の諸問題を解決する新しい学習方法として,「参加型学習」と「先見型学習」を提唱した理由も,ここにあるのではないかと考えます。

 開発教育は,七十年代以降の人類社会の最大の課題でもあるといわれます。

 一人一人が,「開かれた心」をもち,グローバルに考え,足もとからの行動をおこすときでもあると考えます。