多文化共生を考える博学連携教材の開発

日本大学・文理学部・教授  小笠原 喜康

75号巻頭言(2004年01月15日発行)

 今、教育における博物館の役割に期待が寄せられている。直接には、新しい学習指導要領で始まった「総合的な学習の時間」への役割である。しかしその背景には、もっと深いものがある。「深いもの」というのは、「学校」という近代教育の担い手への問い直しの視点である。

 今日の「学校」は、近代教育の装置として、広く多くの民衆に知識を普及させることを役割としてきた。これは、コメニウスの想い描いた学校である。彼は、「全ての人に全ての知識を」普及させれば、世界平和が達成されると考えた。今から400年も前、日本でいえば江戸の初期あたりの話である。

 この理想は、先進諸国においてすら、わずか100年余り前になってから実現された。ただし半分だけである。半分というのは、教育の普及というシステムの面だけが達成されたという意味である。もう半分、すなわち世界平和の達成は、むしろ遠のいているように思われる。

 なぜ、そのようなことになってしまったのか。その理由は、二つあるのではないか。一つの理由としては、教育の普及度合いが、先にそれを達成した国を経済的な「勝ち組」とし、遅れてしまった国を「負け組」とするように働いたことが考えられる。この理由は、いままでもよく言われてきたことである。日本も、「富国強兵」のために、教育の普及を急いだ。

 しかしもう一つの理由があるように思われる。それは、学び方の問題である。近代学校は、教育の普及を急ぐ余り、記号による画一教育を行ってきた。それは、同一年齢・同一入学・同一学年・同一内容・同一卒業というコメニウス流近代学校システムである。確かにこれは、教育が普及していない時代では、合理的・効率的で必要なシステムであった。しかしそれは、同時に「個性を許さない教育」「多様性を許さない教育」でもあった。

このシステムの中では、多様性は認められない。このシステムでは、正しいか正しくないか、正

確か正確でないか、速やかか速やかでないか、大量であるか大量でないか、高度であるか高度でないか、という二値論理だけが尊重される。それぞれの、様々な状況における、「まあ、いろいろそれぞれさ」という多値論理は住みづらい。

 私は、5年前から「子ども博物館研究会」というものを組織して活動してきた。そしてその研究会の分科会としての「スーツケース総合学習教材開発部会」の中で、博学連携のための教材開発を行ってきた。これは、文化研究センターとしての博物館の知見をスーツケースに詰め込んで、学校に貸し出すための教材パックである。現在これは、多文化教育のための施設である「神奈川県立かながわ地球市民プラザ」、および「国立民族学博物館」との共同研究での開発へと進んでいる。

 私は、この教材パックを「正しいことを正しく伝える」ためのものとは考えていない。それぞれの、そして様々な学習・教育現場で様々に応用・発展させていくための「きっかけ」としてもらうためのものと考えている。これを使って授業を展開する教師一人一人の工夫、そしてなによりこれを使う子どもたち一人一人が、ここから旅立つための教材パックにしたいと考えている。だから私はこれを、学習者一人一人によってそれぞれに発展させられる「増殖教材」と呼んでいる。

 今流行の“博学連携”は、学校と博物館とが協力して「総合的な学習の時間」の学びを豊かにすることと捉えられている。しかしその学びが、単に正しいことの学習と考えられているとしたら、それはやはり少し考え違いではないだろうか。「総合的な学習の時間」の新設は、むしろ従来の学校学習からの脱却を目ざしてのことだろう。

 私たちが開発しているこの博学連携教材パックも、こうしたコンセプトで開発したいと思っている。多文化共生の学びも、「まあ、いろいろそれぞれさ」と、様々な立場の論理を互いに認め合うことでなくてはならないだろうと考えているからである。