「子どものための国際理解講座」    平成14年 2月9日(土)
                           岡山県国際交流センター8F
 
 今回の県国際理解講座は,2月の3連休初日の午前10時から12時まで,国際交流セ
ンター8階イベントホールで行われました。毎年2月の第2土曜日をめやすに開かれ,もう10年以上の歴史があります。目的としては,子ども達に外国人と直接交流したり,海外派遣教員の話を聞いたり,その国の代表的なものに接したりすることによって,国際交流および国際理解の場を与えようというものです。ここでは,当日の流れを写真を交えて簡単に紹介していきます。
 
1.開会あいさつ  ・国際交流協会    杉井専務理事
            ・国際理解教育研究会 赤坂副会長
 
2.日本人学校帰国教師の話
  @萱野一馬先生(パナマ)
人口300万人ほどの中米の小さな国で,日本人は400人ほどいる。日本人学校には,50人弱の児童生徒が在籍していた。年間30℃平均で雨も多く,熱帯雨林気候である。パナマといえば,運河が有名で1999年12月31日にアメリカからパナマに返還された。全長80km約9時間通過に要する。1903年から11年かかって完成したが,マラリアやデング熱などを媒介する蚊の対策が,大きなポイントだった。治安は,当然日本のようにはいかず,不自由を感じる面はあるが,日本から遠く,観光にわざわざ行くチャンスもほとんどないのがもったいないくらいで,ぜひこれからもパナマを訪れていきたい。
  A三井亘先生(スイス)
九州とほぼ同じ大きさの国土に,人口は半分の700万人。チューリッヒの気候は北海道に似ている。言葉はスイス・ドイツ語64%,フランス語19%,イタリア語8%,ロマンシュ語1%など場所により使用言語が違う。英語は通じない。ストアは,8時から18時30分まで(12時から1時間半昼休み)で,土曜日は16時まで。日曜日は休み。日本のような24時間ショップや自動販売機はない。環境にやさしく,細かな分別ごみ収集やリサイクルが徹底している。地下水保護のため,ねこより大きい動物が死んだら勝手に埋めると罰せられる。電車の改札所や高速道路の料金所がなく,本人の道徳性に任されている。3年間でわずか2回だけ普通電車に乗っていて切符のチェックがあった。高速道路は,1年間約3000円のチケットを買えば,乗り放題。小学校6年生の中間評価で進路が決定してしまう。4種類の中学校に分かれ,60%はセクンダーシューレという職業学校に進学する。留年という制度が機能している。
 
1.展示物観覧・試食タイム
 
        スイス               パナマ
 
    フィリピン 岡田浩之先生      ルピアン・フィリピン風春巻き


    マレーシア 安藤一郎先生          マンゴプリン

    台湾    梶田ひろみ先生        お菓子(瓜の種,うずらの卵,飴など)


    グアム   長尾光裕先生            ココナッツ
 タイ    梶原敏先生              タピオカのココナッツミルク
 
 
 アルゼンチン森英志先生   エンパナーグ(餃子のようなもの)
 
 
    ドイツ   池上純治先生           ソーセージとサラダ
                                                                                                                                                                                                                                                                        4.ALTの先生との交流
 ケビン・グレン(アメリカ)      ケイト・オサリバン(アイルランド)  クレアー・ハァースト(イギリス)
   出身国,家族,趣味などの説明の後,ビンゴゲームを楽しむ。
 
 以上ですが,参加者は小学生37名20校,中学生28名9校,そして大人が保護者や関係者約40名でした。岡山市以外では,倉敷市・吉永町・玉野市・笠岡市・備前市・金光町・総社市・山陽町・熊山町・赤坂町などから参加していて,秋にあるアイフェスティバルの岡山市子どものための国際理解講座と違うところです。みんな自主的に参加しているだけあって,話を真剣に聞き,展示品を興味深く見て,各国の食べ物を楽しんでいました。今回は海外帰国教師がほとんど全員参加していて,会場がにぎやかに飾られ,とても良い雰囲気でした。大好評だったので,派遣同期の同窓会的な意味合いや,派遣の恩返しという意味でも,このような形態で続けられればいいなあと,担当の池上先生は話していました。