補習授業校のさらなる発展に向けて

       文部科学省生涯学習政策局社会教育課地域学習活動推進室長 栗原 祐司

84号巻頭言(2007年7月10日発行)

現在、世界中の53か国に187校の補習授業校(以下、「補習校」と言う。)があり、海外に在住している約5万8千人の義務教育段階の子どものうち、3分の1近い約1万6千人以上の子どもが補習校に通っている。さらに、実際にはほとんどの補習校では幼稚部や高等部、国際部等も併設されているため、それらを加えれば補習校に通っている子どもの数はさらに多いことになり、今や補習校の存在抜きには子どもを帯同しての海外赴任は語れないという状況になっている。昨年、たまたまあるアメリカの観光地で、在留邦人らしき子ども連れの日本人どうしが一緒に列に並んだとき、お互いあいさつを交わした後に出てきた言葉は、「どちらの補習校に通ってらっしゃるの?」というものであった。日本国内ではまず聞かれない会話であろう。それくらい、海外では日本の子どもが補習校に通うことが一般化しており、場合によっては、その学校選択が保護者の主要な関心事項であることも多いのである。

特に北米には世界中の半分近くを占める83校が設置されており、日本人が多く住んでいる大都市周辺では、通学時間と距離さえ厭わなければ複数の補習校を選択できる場合すらある。例えば、家のすぐ近くに永住者主体の小さな補習校があるものの、あえて2時間近くかけて隣の州にある駐在者主体の大規模補習授業校に通うというようなケースは、現実に多く見聞きすることができる。最近は、日本の公立小・中学校でも通学区域が弾力化され事実上競争原理が導入されているが、もとより日本人学校や補習校は私立学校であり、その設立当初から現地校やインターナショナル・スクール、あるいは補習校であれば塾や日本語教室、通信教育等との競合は避けられず、学校選択はまったく児童生徒や保護者に委ねられている。ある意味、在外教育施設は、設置者や保護者のニーズ、その国や地域における日本人社会の置かれた状況等に応じてその性格も千差万別であり、企業の撤退等によって子どもの数が減れば閉校を余儀なくされるなど、競争原理が宿命づけられているのである。

 筆者はこれまで補習校を40校以上見学してきたが、その大いなる多様性にはいつも驚かされる。最近、ニュージーランドの補習校を訪問した際、その思いはさらに強くなった。北米の補習校では、午前中だけであったり、国語だけであったりというバリエーションはあるものの、ほとんどが土曜または日曜のみの授業日であった。ところが、オークランド補習校では月曜から土曜まで毎日授業日なのである(曜日によって学年が異なるため、実際に子どもが通うのは週2回程度)。また、ウェリントン補習校は、月曜と水曜が授業日で、子どもたちの半分は校舎を借りている現地校に通っていた。筆者はまだ見学する機会を得ていないが、平日の放課後が授業日のいわゆる「準日本人学校」というタイプの補習校もあり、

 

タンザニアのダレサラム補習校やオマーンのオマーン補習校等には派遣教員も派遣されている。これだけ多様性を見せつけられると、今度訪問する補習校はどんなところなのだろうかと、胸をときめかせずにはいられない。そして、どんなに小さな補習校であっても、先生方や運営委員の方々から、大いなる情熱をもって補習校について語られるのを聞いたとき、こうした方々によって海外に暮らす日本の子どもたちは守られているのだという安堵の思いとともに、感謝の念でいっぱいになるのである。

筆者は補習校を訪問する際、できるだけ子どもたちの作文集を読ませていただくことにしている。わずか一日の授業見学では、なかなか子どもの様子を知ることができないからである。作文集の読後感は、日本の学校では得ることができないものだ。そこには外国語と異文化に囲まれながらもがんばっている子どもたちや、自ら日本人であることのアイデンティティを見出そうとしている子どもたちの本音がちりばめられており、感動せずにはいられない。筆者は、今やなかなか公務で訪問する機会には恵まれないが、プライベートでの海外旅行であるにも関わらず必ず補習校を訪問するようにしているのは、まさにそうした感動を得たいからにほかならな。い

ところが、残念なことに日本国内では、一般に日本人学校に比べて補習授業校の知名度は、決して高くない。筆者がニューヨーク赴任中にテロ事件と子どもの心−日本人学校・補習校におけるPTSD調査とケア』(ニューヨーク教育相談室編、慶應義塾大学出版会刊)を出版した際、編集者から「補習校は知名度が低いので、「日本人学校等」にしましょう」と言われ、断乎として「補習校」の文字を入れるよう主張したことがある。最近出版した『海外で育つ子どもの心理と教育』(共著、金子書房)も、当初は『補習授業校』と題した書籍の出版を計画したものの、応じてくれる出版社がなく、異文化適応と発達とセットにしてようやく出版できたという経緯もある。実際、文部科学省内においてすら、補習校の名前も聞いたことがないという職員が多いというのが現実であり、たびたび自分の努力不足を思い知らされている。一方で、教育関係者に会うたびに補習校の話をしていると、意外にも「実は、自分は帰国子女で補習校出身です」「同僚が補習校に派遣されたことがあります」という嬉しい返事が返ってくることもある。生野会長が掲げる「すべての日本人が補習校を知るように」なるには、まだまだ道は遠いが、そのための地道な努力は怠ってはならないと思う。補習校の知名度の向上なくして予算や制度の充実もあり得ない。「補習授業校フォーラム」の開催も3回を数えた。全海研会員一人一人の活動によって補習校のさらなる充実が図られるよう、引き続きみんなでがんばりましょう。