これからの在外教育施設と教育の国際化へ向けて」

      東京学芸大学・国際教育センター教授  佐藤 郡衛

97号巻頭言(2013年7月25日発行)

はじめに

在外教育施設の将来像を展望することはなかなか容易ではない。これまで、在外教育施設は、日本国内と同じような教育を基本に据え、それに国際性を付加した教育を展開してきた。在外教育施設に派遣される教員も日本国内の教育を行うことを是としてきた。しかし、グローバル化の進展とともに在外教育施設での教育のあり方を根本から問い直す必要がある。これまでも日本人学校、補習授業校では国際結婚家庭、永住者や長期滞在者の家庭の子どもが増加し、日本への帰国を前提した教育から転換する必要があることが指摘されてきた。しかし、その具体の姿や実践のあり方を提示できていない。

在外教育施設の実践を振り返ると、日本国内の教育に先駆けて、週5日制の実施、小学校における英語教育の実施、現地理解を核にした総合的な学習などの取り組みを行い、一定の成果をあげてきたが、近年のグローバル化にはまだ十分対応できていない。日本国内の教育がグローバル化に向けて大きく舵を切りつつあり、「グローバル人材」の養成が課題になってきた。日本国内の学校以上に、在外教育施設はそうした人材養成を担う拠点になり得る可能性を持っている。そこで、在外教育施設、特に日本人学校に焦点化して「グローバル人材」の養成という観点からその教育のあり方を検討してみよう。

新しい教育の視点

「グローバル人材」とはどのような人を指すのだろうか。朝日新聞2013616日の記事で、大野博人論説主幹は興味深い主張をしている。具体的には次の2人を想定し「グローバル人材とはどのような人だろうか」という議論を展開している。

@     日本の代表団の一員。堪能な語学などを武器に交渉を巧みにこなし、国益を守り抜いた。ただ、ほかの国々にも有益な人材がいて合意は妥協的な内容に。危機の打開はまだ遠い。

A     国際機関のメンバー。やはり抜群の能力をフルに生かして各国から譲歩を引き出した。問題は解決に向けて大きく前進したが、日本も痛みを強いられることに。

1の立場は国益を確保する人材、第2の立場はグローバル益を優先する人材であり、後者の人材養成の必要性を主張している。しかし、「グローバルな共同体のための教育」は必要だが、輪郭のはっきりしないグローバル社会のための人材育成は難しい試みであるとも指摘している。

では、在外教育施設ではこうした「グローバル人材」の育成はどのようにして可能になるだろうか。まず確認すべきは、海外で生活したからといってグローバル時代に必要な資質が習得できるわけではないという点である。そのためには、やはり日本人学校での教育のあり方を見直す必要がある。日本人学校では、これまでも国際性を重視してきたが、それは常に付け足しか付加的なものであった。今後は、「国際理解」「パートナーシップの形成」、そして「グローバルな課題の解決」という視点を学校の中核に据えることが必要である。第1の「国際理解」は、所在国・地域の理解(現地理解教育)や現地の人との交流学習として展開されてきた。しかし、日本人学校のカリキュラムは、日本国内とほぼ同じように編成されているため、「国際理解」の学習は、常に付加的に行われてきた。この発想を逆転させ、日本人学校のカリキュラムの中心に国際理解をすえ、教科内容の見直しや教科横断型の学習などを積極的に位置づけていくことが課題である。

2は「パートナーシップの形成」という視点である。日本人学校の教育を活性化させるには、現地の社会の理解と協力が不可欠である。ただ、それが一方向的な理解や協力ではなく、双方向的なパートナーとしての役割が期待される。この実現のためには、交流活動、ボランティァ活動など現地の人や子どもとの共同の活動を取り込んでいく必要がある。この双方向的な視点をおし進めていくと、日本人学校の門戸を現地の子どもに対してより開いていくことも必要になる。実際にアブダビ日本人学校などではそうした教育がすでに行われている。これからの日本人学校は、現地の要望や特色に応じた魅力ある学校づくりを進めていくことも必要になってこよう。

3は「グローバルな課題の解決」という視点である。日本人学校がある国・地域では、貧困、人口問題、南北問題など、多様な問題を抱えているところも少なくない。しかも、こうした問題はその国や地域固有の問題ではなく、グローバルな問題でもある。こうした課題の解決を目指した学習をその国や地域を手がかりして進めていくことが必要である。


 

 以上の3つの視点を重視した教育を在外教育施設で行うには、今後、「国際バカロレア(International Baccalaureate)」(以下、IBと略)に基づく教育を行うことも検討すべきである。IBには、初等教育課程(PYP)と前期中等教育課程(MYP)があり、日本人学校でもこうした教育を試行すべき時期にきているように思う。例えば、PYPでは、「わたしたちは何者か」「わたしたちはどのような時代、場所に生きているか」「わたしたちはどうやって自分を表現するか」「世界はどう動いているか」「わたしたちは自分たちをどう組織しているのか」「地球の共有」の6つのテーマをもとにカリキュラム編成がされている。日本でもPYPはインターナショナル・スクールを中心に、また、MYPは国立大学法人の附属学校や私立学校でも行われるようになってきた。政策的に一部の日本人学校でこうしたIBを採り入れた教育を展開していくことを検討すべきではないだろうか。運営委員会や保護者の合意が得られた学校に対して、日本国内でのプログラムの実践校から教員を派遣するなど、これまでと違った観点での支援を行うことで実現可能性を探ることも検討すべきである。正規のIBプログラムの導入が難しい場合でも、先の3つの視点から独自のカリキュラム編成を行い、グローバルな資質を持った人材を育成することを目指すべきである。

どのような力を育成するか

「グローバル人材」とは具体的にどのような力を持った人だろうか。OECDが提唱する3つの「キー・コンピテンシー」という考え方が参考になる。第1は知識や技能、言語などを現実の社会的な文脈で活かすことのできる能力、第2に異質な集団の中で人とかかわり協働で課題解決できる能力、そして第3に自律的に活動する能力であり、自分なりに判断・評価し、自分の意見を表明できる力である。日本人学校でも、これまでのように帰国後の学校で必要な力(学力)の育成から、将来社会に出てから必要な力の育成を目指すことが必要である。ただ、この「キー・コンピテンシー」は高度な力でありより具体化して議論を進めていかなければならない。以下、これから日本人学校で育成すべき力について検討していく。

1に科学的な知識の習得を通して、多様な社会認識を育成することである。しかも、社会的な認識力は、固定した知識の習得から、自分なりに知識を構成する力、いわば批判的思考力の育成に結びつけることが課題である。ここでいう批判とは、単に物事を批判したり、政治的な権力に抵抗したりするという狭い意味ではなく、適切な規準をもとに論理的に判断が下せる力や不合理な規則や既成の枠組みを疑ってかかる態度をさす。ものの見方や判断の基準は自文化中心につくられているが、違う立場・視点に立てば違う見方や判断基準があり、このことを自覚的にとらえていかなければならない。日本人学校では、現地理解を教科や教科の枠をこえて実践することが可能であり、そのことを通して偏見や自文化中心の考えをただし、論理的思考力を育成することを目指すべきである。

2は人とかかわる力である。海外にあっては、異なった文化的背景をもつ人とのかかわりが日常化する。かかわりが増えれば、葛藤や対立も生じるが、それらをのりこえて人との関係をつくりだすことが大切になる。特に、「対話」を通して関係をつくり出していくことであり、そこでは語学力も必要になる。こうした力は、キー・コンピテンシーの「異質な集団と交流する能力」に相当し、「他者とうまくかかわる能力」協力する能力」「対立を処理し解決する能力」にあたる。ただし、違いを認め、差異を受容するためには、寛容性も忘れてはならない。海外にあっては、違いや差異が差別や偏見につながりやすい。違いや偏見を受容する力の育成はきわめて重要な課題である。そのためには、現地の人とのかかわりや交流を今以上に積極的に進めていくことが必要である。

3は社会参加する力である。「キー・コンピテンシー」では社会参加する力が自立性とかかわってその必要性が主張されている。「現代の社会は、それぞれの人の立場が伝統的な社会のように明確に定義されていないから、自律的に活動することが重要」であるとし、「社会に積極的にかかわること」の必要性をあげている。この社会参加する力は、単に一定の枠組みのもとで課題を解決していく、いわゆる奉仕的な活動を意味するものではない。お互いの差異を承認し合いながら課題解決していくという意味での社会参加力が必要である。日本人学校の置かれた国や地域での多様な活動への参加を通して、こうした力を育成することが課題であり、その意味でも多様な共同学習をすすめる必要がある。IBでも、教室を出て広い社会で経験を積み、いろいろな人と共同作業することにより実践の大切さを学ぶことの重要性が指摘されている。

これからの在外教育施設のあり方は決して一様ではない。グローバル時代に対応した教育を模索すべきであり、全海研もこれまでの枠組みにとらわれないような新しい教育のあり方について積極的に発信していくことを期待したい。